煩悩

神奈川県横浜市のお寺にご縁をいただきました。


報恩講法要のご法座は、いつも以上に身が引き締まります。


その後、『築地本願寺新報』の編集会議へ。


12月号の特集に「煩悩」というテーマで執筆しました。
「念珠」「袈裟」「お盆」と続き今年は4本目。


大晦日の除夜の鐘を意識して依頼されたテーマです。

「苦悩の原因は煩悩です」「私たちには煩悩があります」「煩悩とはこういうものです」と説明するのは簡単です。
ところが、浄土真宗の教義の特性として「煩悩をなくすためにこんなことをしましょう」「煩悩を持ってる自分に気づくことが大事だ」といった展開にはなりません。


煩悩があるがままに摂め取って捨てないという仏さまに出遇うときに、はじめて煩悩具足の自分と出遇う。
ですから、いくら煩悩について知識を得て理解したところで、そのことを本当の意味で自覚することも気づくこともできません。


さらに、どれだけ自分の煩悩性を知らされたところで、それを改めることも消すこともできないのが人間です。
だからこそ阿弥陀如来は煩悩について述べることはありません。


執筆をしながら、「煩悩についていくら語っても、宗教的にはあまり意味がないな……」と感じました。

合掌

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2018年11月05日