今から3年前の3月11日に築地本願寺の東日本大震災追悼法要の法話を担当しました。
被災者の方を目の前にして何を話せばいいのか迷った挙句、お寺で出会った石巻市出身の人との話をしました。
終了後、当時の築地本願寺の偉い人に声をかけられました。
「私は西本願寺にいたときに災害支援を担当していたので、あなたの話から非常に大切なことを教えていただきました」
「そうなんですか。ありがとうございます」
「ところで……ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか」
「正直なところ、さっきの法話は実話なんですか?布教使は作った話を見てきたように話すから信用ならないんですよね」
まさか初対面の人にそんなことを言われるとは思いませんでした。
確かにご法義を伝えるために実際にあった出来事を整理して伝えたり、人の話を紹介したりすることもあります。
でも頭ごなしに作り話扱いされるのは心外です。
そもそも作り話だったらもっと感動的で壮大なストーリーに仕上げてみせます。
一方で「これは作り話ですけど……」と話し始めて、見事にご法義を伝えてくださる先生もいらっしゃいます。
突き詰めれば法が弘まることが第一なのでしょう。
歌手の宇多田ヒカルさんが今年の夏にアルバム『初恋』をリリースしました。
インタビューの中で次のように述べています。
時折、「この歌詞は実話ですか?」と問われることがありますが、それって私からすれば「今日の下着の色は?」と聞かれるのに近い感覚というか。
歌詞がすべて事実に基づいているかどうかなんて、楽曲を評価する上においてどうでもいい話だと思うし、たとえ発端は事実だったとしても、パーソナルさが増せば増すほど、同時にフィクション性も増していくものですからね。
小説家の江國香織さんはエッセイ集『泣かない子供』の「虚と実のこと」で次のように記しています。
小説というのはまるごとフィクションである、と私は信じているし、それでいてどんな嘘八百をならべても、書くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない。
合掌